瞑想何とか続けております。
瞑想中に頭の中のおしゃべりが止まらず、
あっちこっちと話が飛ぶ飛ぶ。
まぁ、それも楽しんでいたりします。
そんな中、瞑想中に過去の振り返りをしていたら、
「次のブログはこんなことを書こう!」
という思いが湧き上がってきたので、
書かせていただこうかなと思います。
去年、今年は、興味を持ったことはやってみる!と決めていました。
貴重な経験しているのに、
書かせていただいていないことがあることに気づきました。
今年5月に「いっぺん死んでみる」〜今を生きるためのワークショップ〜
を受講しています。
講師は、内科医の先生で、終末期の患者さんを診察してきた経緯があり(現在も)、
そこで患者さんやご家族から教えていただいたことを私たちに伝えてくれています。
また、終末期の患者さんたちに笑っていてもらいたい。
という気持ちでこの「いっぺん死んでみる」ワークショップが開催されています。
最初は講義で、どのように自分は死を迎えたいかと問われます。
私は、パートナーを見送った後、昼自宅の縁側でひなたぼっこしている時にお迎えがくる。
年齢は85歳。動ける時は、たくさん働いて体力使っていたので、死因は老衰。
苦しいのは嫌だから。日々周りに感謝を伝えているお婆さん。
といった具体的にイメージを作ります。
でも老衰は、体の自由がきかなくなってから死を迎えるまでが長いのだそう。約1300日。
そして、自分の大切なもの、
思い出、
夢・希望、
パートナー・嫌いな人・大好きな人などを、
20枚の紙に書いていきます。
先生の誘導で主人公のストーリーを目をつぶって聞いていくのですが、
内容は、体の調子が悪くなり病院へ行くところから〜心の葛藤(心の声)〜
最後亡くなるまでを経験します。
自分がその主人公になった気になります。
途中、20枚書いた好きなことや大切なことなど、捨てていくのですが、
最後に残った1枚が最も大切に思っているもの。
私の場合は、家族でした。
そして、その最後の1枚を捨ててください。と言われ、ためらいます。
捨てた瞬間ご臨終になるのです。
人間の命はあっけない。
だから、後悔のないように生きようと思うのです。
残った家族のために、ものはあまり残さないようにしようと決めています。
何故なら、母が亡くなった時に家の整理が大変だったから。
それから、義母が施設に入所していて、急変して病院で亡くなったのですが、
延命措置はしないと入所時に書類に書いていたそうなんです。何年も前に。
でも、人はその時その時で気持ちが変わりますよね。
そのまま病院に延命措置はしないということで書類がいっていたみたいでした。
だから、病院からは亡くなりそうです。という連絡がきました。
普段から家族間で延命措置はどうするかと話し合っておくことは大切です。
そして、自分は人としてどう扱われたいか(尊厳)
家族や医師に伝えておくことも大切。
病院側も、忙しくてあえて確認をしないで、
数年前のカルテのままの意思を尊重することもあるとのこと。
でも、本当は毎年の更新がベストらしいです。
こちら側も、もしもの時にあわてないように、普段から話し合い、
医師にも自分の意思を伝えておく必要があると強く思いました。
重い話になりましたが、
いづれ誰でも通る道ですから、
自分も家族も困らないようにしたいものですね。
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