この頃、気づいたことがありました。
母の四十九日の法要が終わり、やっと一息ついた感じです。
家の整理をするため、ほぼ毎日自宅と実家の往復。
その他諸々のやらなければならないことが、山積みにあり、
あと少しで、終わるので、終わったらゆっくりしよう。
と、思っていた。
その時は、意外と必死だったと、今振り返ると思う。
そして、今は、何かさみしい。
大変だけど、やれるだけのことはやろうと、必死だった時のほうが、
何故か幸せに感じている。
全て一人で行ったわけではなくて、周囲の人達の助けがあったからこそ。
周囲への感謝と共に、ぽつんと一人になったことのさみしさがこみあげてきたのかも。
そんなことから、必死になって経験している時には気づかず、
その経験が終わった時に、幸せだったと気づくのは、もったいないことだと。
経験している真っ最中に、幸せを常に感じられる自分でいたい。
だって、今世生まれてきたのは、経験するため、味わうためだと思うから。
経験させていただける幸せに、ありがとうです!